アンビエントでアノニマスな無形の美への招待


ブライアン・イーノは、自身のアルバム『ネロリ』について「メロディとテクスチャーの境目に存在するような音楽を作りたいと思った。それほどあからさまなものではなくしかし注意を引くには十分な程度の、とらえどころのない論理を持つ音楽を」「音楽のエッジ」(C. S. J. Bofop、訳=スズキの助、CDライナーノーツより)と語っている。限りなく無音に近いイーノの音楽には宇宙の遠い星のきらめきのような生命感がある。環境音楽の先駆者、Windows95の起動音、7700万通りのランダムな映像作品、iPhone/touch用音楽生成アプリ、ヒューマン・インターフェイス等で先端的表現を提示し、メディアを超えて多くの表現者たちに影響を与えてきた。本展[DIGITAL ART]はその一端を紹介するものである。佐々木宏子(本展監修者)


この展覧会では、さまざまなメディアを手法とするアーティスト3人の作品の中から、コンピュータ・プログラム(土屋貴哉)、写真(松蔭浩之)、サウンド・アート(八木良太)を選りすぐって展示します。それらは一見ばらばらなメディアを用いた作品でありながら、それぞれに私たちを包囲する時間と空間を裏返すかのような皮膜的な構造をもっています。フィジカル(物質的)からディジタル(非物質的)な世界へと拡散し、離散化する芸術の精神性が、アンビエント(包囲的)でアノニマス(匿名的)な無形の美を奏でる──それは音楽の美しさにとてもよく似ています。楠見清(本展キュレーター)
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OKUSAWA CONTEMPORARY ART AND DESIGN DOCUMENTS 第9回 展 [DIGITAL ART]

現代美術の啓蒙を目的に健康的で深い精神のコンテンポラリー・アート、建築、デザインを軽やかに提示。OKUSAWA CONTEMPORARY ART AND DESIGN DOCUMENTSから発信します。

会期=2013年1月19日(金)〜2月9日(土)
出品作家=土屋貴哉、八木良太松蔭浩之
場所=OKUSAWA CONTEMPORARY ART AND DESIGN DOCUMENTS 東京都世田谷区奥沢3-30-7 東急大井町線奥沢駅徒歩2分、東急東横線大井町線自由が丘駅徒歩6分
開場=火〜土(日月祝休み)12:00-18:00
ギャラリートーク=2013年1月26日 (土)
◎第一部 14:00-15:00 土屋貴哉(現代美術家)×佐々木宏子(現代美術家) +楠見清[司会] ◎第二部 15:30-16:30 松蔭浩之(現代美術家八木良太(メディアアーティスト)+楠見清[司会] ◎ワインパーティー 16:30-
企画運営=OKUSAWA-CADD実行委員会
後援=世田谷区教育委員会
特別協力=イムラアートギャラリー、ミズマアートギャラリー、無人島プロダクション、BEAT inc.,首都大学東京楠見研究室、一般財団法人佐々木宏子財団
空間構成=佐々木理趣
キュレーション=楠見清
監修=佐々木宏子


Lyota Yagi, Mirror and Chair, 2013, Sea under the table, 2010 (L to R)



Takayoshi Tsuchiya, one hundered plus one scrollers, 2012



Hiroyuki Matsukage, S.t.R. #002 - YELLOW MAGIC OHRCHESTRA / ×∞MULTIPLIES, #001 - PUBLIC IMAGE LTD. / ALBUM, #003 - IAN MATTHEWS / IF YOU SAW THRO' MY EYES, 2013 (L to R)


200冊の本の展示のなかでギャラリートークをします


現代美術家の佐々木宏子さんが主宰するOKUSAWA CONTEMPORARY ART AND DOCUMENTSで本をテーマにした企画展が今日から始まりました。会期中行なわれるギャラリートークの司会を務めます。グラフィックデザイナーの永井一正さん、紙の造形作家の花牟禮亜聖さん、そして佐々木宏子さんといっしょに、それぞれが持ち寄って展示している本を中心に、本とアート、本とデザインについて語り合います。

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OKUSAWA CONTEMPORARY ART AND DESIGN DOCUMENTS 第8回 展 [BOOK DESIGN]
現代美術の啓蒙を目的に健康的で深い精神のコンテンポラリー・アート、建築、デザインを軽やかに提示。OKUSAWA CONTEMPORARY ART AND DESIGN DOCUMENTSから発信します。
本展「BOOK DESIGN」では、20世紀・21世紀のデザインの優れたもの、内容の面白いもの、魅力的な著者のもの等、美術、デザイン、建築、科学、文学、子どものための本など、OKUSAWA DOCUMENTSのコンセプトでもあるジャンルを超えて展示します。したがって和書と洋書、書名と著者名、デザイナー、編者、出版社や年代等にとらわれず提示します。
展示本=Paul Klee The thinking eye, Bauhaus, MORRIS LOUIS, Lean Dubufet,マティス画家のノート, 永井一正, Piet Mondrian, Calder, 柳宗理, Frank Stella ,菅井汲, QUADRUM, Naum Gabo,Max Bill, Le Corbusier, das kunstwerk, art international, David Macaulay-道具と機械の本, KLEIN,XX. sie`cle, 鈴木恂, Louics I. Kahn, 戸村浩, Sonia Delaunay, Man Ray, 佐藤和子, au joud'hui, 市川勝弘, 猪熊弦一郎, Kandinsky 点線面, Pierre Boulez, 佐々木宏子, MARK ROTHKO, 大沢昌助, Odilon Redon, BRUNO MUNARI, ワーズワード, 紋章, GA JAPAN, アメリカンダンスナウ, MUSEO DEL NOBECENTO 900, 美術手帖, PICASSO, 安藤忠雄, PEGGY The Wayward Guggenheim, みづえ, 芸術新潮, PICASSO, Matisse, セザンヌ回想, Fontana, クロスセション輪切り図鑑, 安部公房, 田渕安一, LIFE with PICASSO, 花牟禮亜聖, 合川通子, 西浦玉美, MENDINI, 続パイプのけむり, domus, 脇田和, タイポグラフィ・タイプフェイスのいま, デジタル時代の印刷文字, 熊倉桂三, 文化面から見た印刷表現技術, 楠見清, 肉への慈悲フランシス・ベーコン, Jean Nouvel, 前川國男, 吉村順三, Ahaus他
会期=2012年12月11日(火)〜12月27日(木)
展示本=全約200点
場所=OKUSAWA CONTEMPORARY ART AND DESIGN DOCUMENTS 東京都世田谷区奥沢3-30-7 東急大井町線奥沢駅徒歩2分、東急東横線大井町線自由が丘駅徒歩6分
開場=火〜土(日月祝休み)13:00-17:00
ギャラリートーク=12月22日 (土)
◎第一部 14:00-15:00 永井一正(グラフィックデザイナー)×佐々木宏子(現代美術家)×[司会]楠見清(首都大学東京准教授) ◎第二部 15:30-16:30 佐々木宏子×花牟禮亜聖(女子美大講師デザイン紙造形)×[司会]楠見清(首都大学東京准教授) ◎ワインパーティー 16:30-
企画運営=OKUSAWA-CADD実行委員会
後援=世田谷区教育委員会
特別協力=一般財団法人佐々木宏子財団
空間構成=佐々木理趣
監修=佐々木宏子+花牟禮亜聖

小池俊起写真展「escape from the past」展



「写真」の圏外

 日差しの傾きかけた午後、小池俊起は多摩丘陵の道端にスクーターを停め、機材をもって林の中に入る。林道では人に会うこともなく、山とも丘とも呼べない起伏の途中で、遠望する町並や草木にうつる光と陰をフィルムに記録する。日が暮れる前に降りてくると、再びスクーターに乗って国道沿いのラーメン屋に立ち寄り、カウンターに出された大盛り味噌チャーシューを前にひとり小さく笑っている(はずだ)。
 木々の枝や茂みと陽光がつくるコントラストは、小池がシャッターを切らなければ、ただそれだけのものとして人目につかない場所にあり、やがて枯れたり折れたりしてなくなってしまうだろう。彼の写真は自然に相対してはいるが、そこにはランドスケープ・フォトやネイチャー・フォトの絶景も神秘もない。日常生活圏のすぐ傍にある意識や常識の圏外で、小池は意識や常識では把握できない何かと交信しようとしているのではないか。それは、たとえば1億5千万キロメートル先で輝く大きな天体であったり、彼が敬愛するこの世に居ない写真家であったり、あるいは彼が本業とするグラフィックデザインとは何かという問題のように思われる。小池の写真はその交信記録として解析を待っている。

楠見清(美術編集者/評論家、首都大学東京准教授)

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 2年ほど前から写真作品を見せてもらっている縁で初個展のDMに文章を寄せました。編集学を専攻し、エディトリアル/ブック・デザインの研究、グラフィック・デザインの制作をしながら写真を撮り続けている大学4年生ですが、期待の新人としてここに紹介します。会場は、大野伸彦+瀬戸正人+中居裕恭森山大道らによって運営され「夜の写真学校」でも知られる写真の実験場〈Place M〉の2階にあるフォトギャラリーです。

◎小池俊起写真展「escape from the past」
2012年12月3日─9日
会場=M2 gallery 東京都新宿区新宿1-2-11 近代ビル2F ギャラリーホームページ 地図

いつか人は紙の本の取り扱い方を忘れてしまうだろう


リーダーズレッドリスト
── ページをめくる生き物たち

NOW READING / STILL READING

【会期】7月7日(土)─7月13日(金)
【会場】SPIN GALLERY 東京都千代田区神田神保町1-20 小川ビル2F http://spins.exblog.jp/
交通=東京メトロまたは都営地下鉄神保町駅A5出口より徒歩3分。1階に「古書たなごころ」の入っている2階建て木造建築の階段上る [入場無料]
【開廊時間】連日17:30─20:30、8日(日)のみ12:00─20:00(イベントあり)
【展覧会概要】15世紀にグーテンベルクによって活版印刷技術が発明されてから約550年。2010年は「電子書籍元年」と言われ、今年は新たな電子書籍リーダーの出現によって「読書革命」がうたわれるなか、紙の本は徐々にその姿を消しつつある。こうした状況の中で、紙の本を手に持ち読書をする人=「リーダーズ(readers)」は絶滅の危機にある生き物であるといえる。この展覧会では、そうした《ページをめくる生き物たち》をレッドリストとし、それらの行動生態を《消えゆく読書風景》として収集・展示する。首都大学東京大学院システムデザイン研究科インダストリアルアート学域の大学院生による研究展示。


【会期中のイベント】
トークショー「読書と写真のレッドな関係」
出演:阿部隆大(写真家)伴田良輔(作家/SPIN GALLERYディレクター)+楠見清(司会/首都大学東京

7月8日(日)15:00─17:00 [入場無料]
阿部隆大 作品 2011

書物に先行してディジタル化を果たしたメディアツールに写真機がある。日常を記述し、プリントされ、目と意識で読まれる写真の変容について、書物と写真の行方、読むことと見ることの愉しみを語り合います。
トークショー終了後、オープニングレセプションを開催します(18:00-20:00)。飲み物と本を使った手品ショーなどさまざまな企画でみなさまのご来場をお待ちしています。
◎ その他連日日替わりで企画あり。詳細は随時告知していきます。

【企画】首都大学東京大学院 楠見清研究室 http://industrial-art.sd.tmu.ac.jp/kusumi/

シンポジウム『20世紀末・日本の美術ーそれぞれの作家の視点から』にゲスト出演します

現代美術家の中村ケンゴさん企画の面白そうなシンポジウムに登壇することになりました。90年代(とくに前半=インターネット環境以前)のことって確かに今振り返ろうとしても情報がものすごく少ない。
僕自身の出版編集文化史的な関心でいうと、1990年代前半はMacの価格が下がったことで若者にDTP技術が普及しインディーズ・マガジンの花が開いた時代で、それが2000年以降のZINEのムーヴメントにつながっているはずなのだが、当時の優れた作品はすべて紙媒体やフロッピー・マガジンやCD-ROMマガジンなどのスタンドアローンなパッケージだったため、現在インターネット上を検索しても何の情報も残されていないことに愕然とした覚えがある(具体的にはたとえば当時若手クリエーターの間でひじょうに盛り上がったデジタローグ・ギャラリー主催のインディーズ・フロッピーマガジン展示即売会「フロッケ」について検索をかけてみると、そのあまりにも少ない検索結果数に当時を知る者なら本当に言葉を失うだろう──あのムーヴメントはどうやらネット上では”なかったこと”になってしまっている。当時デジタローグの江並直美がやろうとしていたことのディジタル的側面はその後松本弦人によるBCCKSに、フィジカル的側面はZine's Mateなどに継承されているのだが、その流れや足取りがいまとなっては完全にかき消されてしまっている。
美術に関してもそういったことは同様で、今回の企画はその事実に対して90年代に20代を送った世代の美術家たちがオーラル・ヒストリーのライヴで補完するという試み。異なる意味でロスト・ジェネレーションと呼ばれた世代が”失われた年代”を取り戻す。
以下、中村ケンゴさんのHPからそのまま引用します。

1990年代後半以降、日本の美術は新たなイズムの台頭やそれに伴うスクールの誕生など、局所的なものはあっても大きな動きは起こっていないとされています。そのいっぽうで、グローバルな美術市場が浸透し、0年代以降には多くのコマーシャルギャラリーがオープンするとともに、たくさんの若い作家がデビューしました。しかしリーマンショック以降、再び市場は停滞し、美術館はもとよりコマーシャルギャラリーも淘汰の時代に入っています。また、昨年の東北の大震災と原発事故は、美術にとっても作家にとっても、自身の根本的なありかたの転換を迫るものとしても捉えられています。
そうした様々なことを踏まえて、このシンポジウムでは、1969年生まれ(永瀬、中村)、1970年生まれ(眞島)の三人の美術作家が、自分たちが活動を始めた90年代のアートシーンを振り返りながら、現在につながる表現の潮流や、アートマーケット、アーティスト・サバイバルについてなど、それぞれの体験を通して、今また新たな知見が得られないかを探ります。またインターネット普及前夜である当時の情報を得ることが難しいなか、若い世代に直近の過去の美術の状況を伝えるのも私たちの世代の責任ではないかと考えました。さらに三人の作家に加えて、80年代後半から0年代に渡って、『美術手帖』の編集者としてアートシーンに関わった楠見清氏をゲスト・コメンテーターとして迎え、メディアの視点からの考察も補いながら、より広い議論を展開できればと目論んでいます。

<シンポジウム・タイトル>
『20世紀末・日本の美術ーそれぞれの作家の視点から』
90年代に活動を開始した美術作家たちそれぞれの視点から、当時のアートシーンを振り返り、現在につなげるべく検証します。
<期日・会場>2012年2月24日(金)19:00~21:00 メグミオギタギャラリー[入場無料]。東京都中央区銀座2-16-12 B1 電話: 03-3248-3405 E-mail: info@megumiogita.com 地図: http://www.megumiogita.com/Information/
<パネリスト紹介>
眞島 竜男(まじま・たつお)現代美術作家。1970年生まれ。ロンドン大学ゴールドスミスカレッジ美術科卒業。写真、ビデオ、テキスト、パフォーマンスなど。TARO NASU で個展を開催中(2月25日まで)。
永瀬 恭一(ながせ・きょういち)画家。1969年生まれ。東京造形大学卒業。3月4日より HIGURE17-15cas にて第4回「組立」開催。
中村 ケンゴ(なかむら・けんご)/司会 美術家。1969年生まれ。多摩美術大学大学院日本画専攻修了。絵画を中心に制作。国内外の展覧会、アートフェアに出品。3月に BookGallery CAUTION の企画展に出品予定。
楠見 清(くすみ・きよし)/ゲスト・コメンテーター 美術編集者・評論家。1963年生まれ。美術雑誌編集の傍らアートストラテジスト=芸術戦略立案家として数多のペンネームで若手美術家を後方支援。現在首都大学東京准教授。

シンポジウム詳細=『20世紀末・日本の美術ーそれぞれの作家の視点から』

平井友紀+阿部隆大「物体としての/物質としての/写真」展




密会なき密約──画家と写真家の交信記録


 これはいわゆる二人展ではない。なぜならどの作品がどちらの作家のものか判然としていないから。
 かといって、これはコラボレーション展というわけでもなさそうだ。ふたりは9月になって作品制作を始めてから展覧会初日までまったく顔を合わせるつもりはないというから。
 それでは、これは一体何なのか?
 今回、ふたりはそれぞれが用意した写真をメールで送り、相手から送られてきた画像に手を加えて送り返すという作業を2か月にわたって続けている。画像の交換は一回に留まらず何度も往復される。ふたりが決めたルールはもうひとつ、制作中は会うことも電話で話すことも一切せず、連絡はすべてメールだけで行うというものだった。
 あえて文通のような関係で交信するのは、たがいに距離を置き、たがいの制作行為を暗闇のなかに追いやるためではないかと僕は想像する。いまふたりがしているのは相手の目を見ながら行うキャッチボールや声をかけあいながら行うパスワークではなく、ひたすら条件反射的に淡々とテニスボールを打ち続ける壁打ちのように孤独な行為のように思える。ただ、彼らはすべてを遮断して部屋に閉じこもっているわけでなくふつうに日常生活をしながらパソコンに向かって作業するときだけ姿なき相手と向かい合っているだけ──つまり、この世界からただひとりの相手だけを遠ざけている。あるいは、ただひとりの人物に対してのみ自分の身を隠している。彼らの秘密の関係は密会より謎深く、もしかしたら罪深い。

 写真に画像処理を加えイメージを変容させていく手法は、以前からふたりの作品それぞれに見ることができる。平井友紀は実験的な油彩から破壊衝動的ともいえるライヴ・ペインティングやパフォーマンスへと表現の幅を拡げ、最近の個展「ソレ」(2011年6月、TAP GALLERY)と「saying something」(2011年9月、Count Zero)においては写真のイメージを解体することで自身の絵画に通じる平面性を構築してみせた。いっぽう、阿部隆大は建築やファッションを撮る写真家としての活動だけでは飽き足らないかのように近年、自作の写真、拾い画像を問わず、原型をとどめぬほど加工した抽象的な作品に取り組んでいる。彼は「符号」をテーマに、写真がもつ被写体の意味を消去していくことでイメージを情報としてコード化し、写真と絵の境界探査を続けている。
 絵画から写真のほうへ、写真から絵画のほうへと歩いてきたふたりの最終目的地は違うのかもしれないが、いまここで出会った彼らの手法は見た目にもよく似ている。オリジナルのイメージをより鮮明にしていくのではなく、むしろ破壊することで意味や意図から解放していく──今回の展覧会はいわば、これまでそれぞれがひとりでやってきたことをさらに推し進めるために、ふたりで交わした期間限定の実験という密約らしい。
 ただ、誤解してはいけない。ここでは絵画が写真に、写真が絵画になろうとしているのではなく、むしろそうならないためにふたりは回線をつないでいる。入力と出力の反復はひじょうに機械的で、おそらく化学的な融合は期待されていない。絵画と写真は混じりあってひとつになろうとしているのではなく、絵画はただ絵画でない何かに、写真はただ写真でない何かになりたがっているように見える。

 ソレがアレになる。具体的なそのもの(thing)が実体のない何ものか(something)になる。
 今回インターネット上で公開される「表層に起こる現象」は、ふたりがメールを介して生成した何ものかを閲覧者が自由にダウンロードし共有することによってソレをアレに変える仕掛けのようだ。
 ただ、ふたりの目論見はそれだけでは成就しないらしい。「物体としての/物質としての/写真」と題されたギャラリー展示のほうでは、膨大な加工写真のプリントで壁から床や天井までが埋め尽くされる。いったんは情報として操作されることで実体のない表層の現象と化したイメージは、ここでふたたび印画紙上に吹き付けられたプリンタ・インクとして実体化され、空間のなかに実装される。
 もしそれがまだ写真であるならそこに写っているのは一体どこの風景なのだろう。もしそれがまだ絵画であるとするならそれを描いた画家は一体どこにいるのだろう。絵画でも写真でもないアレとは、もしかしたら本来アッチやアノヨといったもうひとつの別の世界(アナザー・ワールド)にあるはずのものなのではないか。アノヨのものをコノヨのかたちにすることは、芸術の原初的な役割だったことを思い出そう。絵も写真もいまここにないものを目で偲ぶための似姿=ピクチャー(picture)として、いまここにある。

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以上、明日から開催される平井友紀+阿部隆大「物体としての/物質としての/写真」展に寄せた文章をここに掲載しました。観る前に作品について書くのは僕にとっては作家の制作や展示に近接した作業で、いわば「頭の中で組み立てる絵」のようなもので面白い。明日はようやく実際の作品を見ることに……作家たちとギャラリストを交えたトークショーにも出演します。

◎平井友紀+阿部隆大「物体としての/物質としての/写真」展
2011年11月1日─13日=TAP Gallery
ウェブギャラリーFFLLAATTでも同時開催。作品の変成過程が見られる。
トークショー 平井友紀+阿部隆大+櫻井史樹+楠見清
日時=2011年11月1日(火)21:00-22:00 会場=TAP Gallery

 落ちる水が与えられたとせよ──9.11追悼施設はいま

WTC跡地の2つの滝が完成し、放水テストが行われた模様。
(下の動画は「埋め込み不可」なのでYouTube上で閲覧されたし。冒頭CMが30秒表示されますが不然悪)


設計者マイケル・アラドのインタビュー。

CG完成図を見ると、滝の縁石には犠牲者の名前が刻印されているのがわかる。計画当初は賛否両論だったマヤ・リンによるベトナム戦没者慰霊碑(1980)から30余年、1970年代のミニマル・アートの思想や手法は現代アメリカのメモリアル・デザインの様式に派生し定着したといえる。

WTC跡地一帯は今年2011年9月12日から一般公開され、プラザなどの施設が順次オープンしていくらしい。
滝の慰霊碑や9.11メモリアル・ミュージアムの展示についてもっと知りたいし、もっと話がしたい。それはいつかつくられるべき東日本大震災の追悼施設に何が望まれるかを考えることにつながるからだ。

参考リンク
9.11メモリアル(公式サイト)
WTCのいま(ライブカメラ)