電車展

donburaco2009-07-01


先週末、高田冬彦+平川恒太企画のゲリラ展示が行われた。午前11時から午後4時まで、山手線外回りの二両目を作品が占拠するという静かな暴挙。


郵送されてきたチラシ


山手線到着。二両目の到着位置前で待って、いざ乗車


平川恒太《太陽の王(王冠)》、高田冬彦《春がやってくる、大勢の虫たちと共に!》。平川くんは多摩美3年で僕の一昨年の授業(20世紀芸術論)をきっかけに大学の外で勢力的に活動を展開している。高田冬彦は「高田冬彦祭り」と題した奇抜な売名プロモーション・デモンストレーションで名を馳せ、遠藤一郎やChim↑Pomの実質的な雑誌デビューとなった『美術手帖』2008年5月号にもしっかり載っている。二人がコンビを組み始めたのは僕にとってもうれしい。


左:千ヶ崎慶一《dead tree》、右:岩本謙《入水帽》《日避猿の置物》(顔切れてて失礼!)。作者があくまで「手荷物」として自作を手にして座ったり立ったりしている、という設定。基本的にこれならば大きなモンダイにはなりえない。


ノートブックPCを手に動画を上映展示。杉浦珠希《2008年冬、すべてに悩み傷つきすべてが手放せない、そんな私のダイエット法!!》


新宿駅にて、解散前に記念撮影


ハイレッド・センターによるハプニング「山手線事件」(1962)を連想していたが、時間の遅くなった僕が最後の観客だったということもあってか、意外にもなごやかな雰囲気で、移動仮設ギャラリーそのものが山手線内部に自然に馴染んでいる。まわりの乗客もとくに嫌がることなく普通に見て見ぬ振りをしてくれている(乗客によっては、コレは何ですか?と熱心に質問をしてくる人もいたという)。当初、車両の端から端までを貫通する段ボールの立体作品が「手荷物」として二両目の床に置かれていたそうだが、それは係員の指示(「そのお荷物は大きすぎるのでご遠慮ください」というこれもまたなごやかなもの)によって撤去したという。


無許可のゲリラ展示ではあるが、この試みは現在の東京におけるパブリック・スペースとアートの関係を明らかにしようとするものとして興味深い。それは従来のパブリック・アートとは別種の、公共空間へのアートの介入の余地を確かめる実験的なリサーチとして、彼らなりの答えをもたらせたのではないか。
街は意外に開けている。というか、開口部はおそらくそこかしこにある、という当たり前にして重大なる事実を確認。
個人的には昨年の多摩美の自主講評会「6時間目」参加者の成長も確認!