オノ・ヨーコへのインタビュー


美術手帖2011年9月号・特集「オノヨーコ」に寄稿しました。7月21日に行った電話インタビュー構成「interview 2 From New York “空の無限は、私たちの無限。私たちはみな、無限の力を持っている”」(pp.66-71)と、コラム記事2編「KEYWORD 03 魂の片割れ──ジョンとの出会い」(p.87)、「KEYWORD 04 ヨーコの音楽──アヴァンギャルドからポップまで」(p.89)。

オノ・ヨーコへのインタビューは僕にとって3度目になる。1回目は確か1990年、日本での25年ぶりの作品発表だった草月美術館「踏絵」展のときだったろうか。当時の1990年8月号に掲載されている美術評論家の清水哲朗さんによるオノ・ヨーコ論には部分的に「インタビュー取材」としてオノ・ヨーコの言葉が引かれているが、このときのインタビュー(皇居近くのホテルのレストランでランチタイムの喧噪のなか行われた)は編集者が執筆者のための下調べのために事前に行ったもので全文は掲載されていない。今にしてみればたいへんもったいないことだが、当時は作家の生の言葉をそのまま掲載するより、編集部が依頼した評論家の視点を介して論述してもらうことのほうが作家にも読者にも意義ある記事だと考えられていたためだ。清水哲朗さんにはこのときお礼に当時既に絶版だった新書館版『グレープフルーツ・ブック』のコピーをきれいに綴じてもらった私家本をいただいた。それはずっと僕の個人的な愛読書として書棚に置かれ、いまもよく手元に引き出される。
この後、編集長時代に第一回横浜トリエンナーレ出品の際に他のスタッフに取材をしてもらったり、特集号(2003年11月号「オノ・ヨーコ 未来に贈るIMAGINEの力」)を組んだ後、2回目のインタビューは十勝千年の森での「SKY TV for Hokkaido」とギャラリー360°での個展「 We're ALL Water」の際に、すでに編集部を辞めていた僕はライターとして署名記事を寄せた(美術手帖2005年12月号)。《イマジン・ピース・タワー》の構想はすでにこのとき聞かせてもらっていたので、今にして思うとあのとき頭の中で組み立てられたタワーが僕にとっての《イマジン・ピース・タワー》の鑑賞体験だったといえる。彼女の語り口には想像(イマジン)による仮想的でしかもそれがゆえに純粋な”体験”を誘う力がある。それは今回、広島の展覧会の準備が始まる前に行われた電話インタビューでも同じで、僕は会期前から頭の中で「希望への路」展の会場構成を組み立てては歩くことができたのだった。