ヨコハマトリエンナーレの略称について、あるいは横浜イメージ試論



この期に及んでとやかく言っても仕方のないことはわかっているが、それでもやっぱりヨコハマトリエンナーレの略称「ヨコトリ」が馴染めない。字面が何か「ヨコドリ(横取り)」するみたいだし、略すならどう考えても「ハマトリ」が正しいはずではないか。

横浜生まれの横浜育ちなら「ハマっ子」横浜銀行は「はまぎん」。横浜の探偵はといえば濱マイク横浜ベイスターズ関連では「ハマの大魔神といえば佐々木主浩ハマの番長といえば三浦大輔。サッカーの横浜F・マリノスのサポーターは「ハマトラ」。マンガ『サーキットの狼』に登場するカウンタックは「ハマの黒ヒョウ」で、中尊寺ゆつこの4コマはハマのメリーJぶらいじさんだった。


 ©池沢さとし集英社

 


横浜は略せば「ハマ」。この事実に間違いはない

何しろ市章にだってハ マと書いてあるではないか。

この市賞は明治42年開港50周年を記念して市民から公募されたもの。「ハ」「マ」の二文字が縦に積まれるようにデザインされている。通称「浜菱(はまびし)マーク」。横浜市ホームページ

横浜市水道局の製造する横浜オフィシャル・ウォーターは「はまっ子どうし The Water」。緑区の青山取水口から採る道志川山梨県道志村が源流)の清流水を使用。


「ハマ」はときに「浜(ヒン)」と読まれる場合もある。「京工業地帯」に始まり、「京急行」(現在は「京急電鉄」に社名変更)、そして国道15号は「第一京」、国道1号は「第二京」、玉川から保土ヶ谷までは「第三京」と呼ばれる(いずれも読みはケイヒン)。同じなりたちの呼称に「京葉(ケイヨウ)」があり、いずれもエリア的な広がりを指す。
 


「横(ヨコ)」は“ハマの外”からの名づけ

にもかかわらず、横浜を「横(ヨコ)」と略すものがある。渋谷と横浜を結ぶ電車は「東線(トウヨコ)」、首都高速神奈川1号は「羽線(ヨコハネ)」、横浜横須賀道路は「横線(ヨコヨコ)」といったもので、おそらくハマ名称に比べると数的には少ないが、道路地図や標識でよく目にする名称として「」の字が「横浜」の略であることはわかりやすい。ただ、東急電鉄東横線が東京から南西に延伸された路線であるように「(ヨコ)」略称は東京側から、ないしは全国区に向けた顔として名づけられたものが多いように思う。
横浜国立大学を「横国(ヨココク)」と呼ぶのも一種の“中央集権的”な命名に思える。なぜなら、対する地元公立大学である横浜市立大学は伝統的にその校歌の歌詞には「浜大(ハマダイ)」とあるし学園祭の名称は「浜大祭」のはずだ。ただ、浜松大学(ハマダイ)との混同を避けるかのように「横市(ヨコイチ)」なる呼称のほうが通例化しているようだが、これは大学内部というより受験産業の中で「横国(ヨココク)」との並びから生まれた略称が受験生に浸透していったものと思われる。横浜をハマと略す慣習を知らない全国の受験生にとって横浜の略はヨコと統一したほうがわかりやすく利便性が高まる。


ちなみに横浜市立大学新聞は『市大新聞』、大学のマスコットキャラクター(ヨッチー)の胸には「ヨコイチ」の文字がある。ヨッチー・オフィシャルサイト
また、高校名では「横高(ヨココウ)」といえば古くは神奈川県立横須賀高校を指したが、野球名門校の横浜高校が甲子園出場によって全国的に知られるようになって自他ともに「横高(ヨココウ)」を称するようになったのもおそらく「横(ヨコ)」略称が全国区において横浜の略称になったことと関係しているのではないか。

「ハマ」から「ヨコ」へ──埠頭から坂道まで拡がる横浜の地理的イメージ

繰り返すようだが昔ながらのハマっ子は自分たちのアイデンティティーを「」の文字にはあまり託したがらないはずだ。その理由のひとつは横須賀との混同を避けるためであり、ゆえに横浜は「ハマ」、横須賀は「スカ」と略す。ファッションでいえば横浜元町のニュー・トラディショナル・スタイルは「ハマトラ」、横須賀の米兵刺繍ジャンパーは「スカジャン」といった具合に。ちなみに、横須賀市民が自分たちの街を「スカ」と呼ぶことはほとんどなく、むしろ「横」を用いてきたようだ(前述のとおり古くから「横高(ヨココウ)」と呼ばれてきた県立横須賀高校は、いまは横浜高校との混同を避けるため「県横(ケンヨコ)」と呼ばれるが、呼び名は変われどここでの横須賀の略称は「」であり続けている。ただ、最近気になるのは、あくまで「ハマ」との対置から生まれた外的命名だったはずのスカの定着で、たとえば「ハマっ子」に対抗するように「スカっ子」を自称する若者の出現が見られる)。
横浜市は戦後港湾から離れた丘陵造成地のニュータウン人口を増やしてきた。転入市民は「ハマ」名称へのこだわりはないし、東急東横線沿線ならむしろ「ヨコ」名称のほうが馴染みがあるだろう。埠頭でケンカでもしそうな勢いのハマっ子は江戸っ子と同じくらい時代遅れな印象すらするし、いつの頃からか「ヨコ」のほうが陸側にも拡張した横浜市広域を指すのに便利になってきた。東海道新幹線の新横浜駅港北区)をハマというには無理があるが「シンヨコ」といえばそれはイメージに合う。
ハマとスカが並べて歌われた時代(「港のヨーコ・ヨコハマ・ヨコスカ」1975年)はとうの昔になり、いま全国区で聴かれる横浜はといえばゆずの「夏色」の坂道だったりするわけだが、磯子区の長い長い坂道の風景はとても「ハマ」とは呼べないがハマの外から名づけられた「ヨコ」の範疇には道理で収まる。「ハマ」が廃れて「ヨコ」の利便性が増してきた理由はまさにこうしたところにある。
 


最初は確かに「ハマトリ」と呼ばれていました(事実)

横浜トリエンナーレも当初は「ハマトリ」と呼ばれていた。少なくとも私(たち)はそう呼んでいた。第1回の「横浜トリエンナーレ2001」開催時、『美術手帖』には開幕8か前の2001年2月号から閉幕まで「月刊ハマトリ」というタイトルの新聞形式のレポート記事が連載された。新しく聞き慣れない事象はカタカナ四文字に縮まると急速に認知を広げて定着する(コンビニ、デジカメ、ケータイ、プリクラ、リストラ、インフラetc.)というギョーカイの定説にならって、編集部が非公式ながら早々と創り出した愛称「ハマトリ」は読者や他のメディアにもそれなりの浸透と定着をみせた。しかし、第2回の「横浜トリエンナーレ2005」から主催者側がオフィシャルな愛称として「横トリ」を使い始めたことで各メディアは「ハマトリ」を「横トリ」に改めざるをえなくなった。第3回「横浜トリエンナーレ2008」も同様で、今年第4回からは正式名称の「横浜」がカタカナに改められ「ヨコハマトリエンナーレ2011」となり、愛称としてはカタカナの「ヨコトリ」が使われている。
横浜トリエンナーレをきっかけに生まれた市民団体YCAN(ヨコハマシティアートネットワーク)の広報活動グループは当初「はまことり」(ハマトリからの派生であろう)という愛称を名乗っていたが、それも2009年以降「Take Art Easy![TAEZ!]」という新名称でフリーペーパーとラジオマガジン、ユーストリームでの情報発信を行っている。[TAEZ!]と書いて「たえず」と読むのだがそこにはもう「ハマ」も「横」もない。発信源がどこかではなくサステナブルな姿勢のみが前面に押し出されているのが今風といえる。
 

先日、ヨコハマトリエンナーレ2011の出品若手作家のひとりと話をしていたとき、私は無意識に「ハマトリ」と口にしていたらしく、相手から「あ、やっぱり!(笑)」と指摘された。聞くと元某雑誌の副編集長氏もやはり「ハマトリ」と言っていたのだという。どうやら2001年の第1回から知る世代、とくに活字媒体に関わった者は今もついつい「ハマトリ」と言い続けてしまうようだ。
ハマトリ」はいまや絶滅の危機にある。というか「ヨコトリ」のほうがより広範なイメージを投影しやすい後発の新種として着床し枝葉を茂らせてしまった。「横(ヨコ)」のほうが県外の全国区の観客に対してもわかりやすい、いわばよそ行きの顔であることは先にも述べた。であれば「ヨコトリ」はまさに外面としてうってつけなのだが、それでも文字を扱うことが仕事の私には、字面的にも、語呂的にも、そして地誌的・文化誌的に照らしても「ハマトリ」のほうが開催会場のある横浜港一帯に馴染む気がしてならない。
これは日本を代表する国際美術展の開催地である横浜のアイデンティティーの問題であることは言うまでもないが、それは主催者である横浜市という行政の話というより、会場およびその周辺となる港町ヨコハマ(西区・中区の市街地および港湾一帯)がアートを媒介にして文化的に何をとらえ直し/いかに提示し直すかという内省的かつ対外的な表裏一体の問題だと思うからだ。国際展とはいえ、ただ会場立地の条件に優れているだけでローカルな着床が浅くては長続きはしない。「ヨコ」が全国区に向けた横浜の外交的な顔だとしたら、「ハマ」は港町ヨコハマのローカリティに根ざした草の根的な足といえる。無論、海外から見ればYokoだろうがHamaだろうがそこに差などあるはずもなく、だからこそこれは世界でも日本でも東京でも大阪でも京都でも名古屋でもない、きわめて横浜的な問題としてハマっ子の前に突きつけられているのだともいえる。目覚めよ、横浜!


[追記 8/22]横浜スタジアムの略称について
  
ヨコトリ」と「ハマトリ」同様に略称が乱立し混乱しているものに「横浜スタジアム」があることに気が付いた。横浜ベイスターズのホームである横浜スタジアムのことを球団やTBSラジオは「ハマスタ」と呼称しているにもかかわらず、世間では「横スタ」と呼ぶ人が意外に多いらしい。「ハマ」名称がオフィシャルであるにもかかわらず「」名称が自然発生する傾向はヨコハマトリエンナーレとは裏返しの図式かもしれないが、いずれにせよ「ヨコ◯◯」のほうが今っぽい響きというかさっぱりとした語感があって、いまどきハマはないでしょう的な共通感覚が転入市民や若者を含む最近の“横浜の中の人”たちにはあるらしい。
昭和40年代くらいまで横須賀の略だった「」が、横浜のエリア拡張とイメージ的な全国区進出とともに横浜の略号として乗っ取られ「ハマ」のもつ求心力が衰えていく。「」を奪われた横須賀は代わりに外的命名であったはずの「スカ」を自分たちのシンボルとして獲得していったことになる。
ちなみにベイスターズの二軍本拠地である横須賀スタジアムは「スカスタ」と略されるのが通例だが、これが一時神戸スカイマークスタジアム(現・ほっともっとフィールド神戸)の略称スカスタと混同するという問題を生じたこともあった。当の“スカっ子”たちは横浜に「横」を奪われたことすら忘れてしまっている。目覚めよ、横須賀!