「カーズ」のジオグラフィーとノスタルジー

「カーズ」の予告編を最初に見たとき、激しいレース・シーンと大自然の中でのドライブ・シーンの印象的な対比に、往年のアーケード・ゲーム「ウイニングラン」と「アウトラン」を思い出した。「カーズ」は、CG黎明期からシミュレータやゲームにおいて進化を続けてきたドライビング映像の集大成に違いない、というのが今回のぼくの読みだったが、その期待は心地よく裏切られた。もちろんレースとドライブのシーンは、この作品の両腕の力こぶとして誇示されるものではあるが、いずれも予告編以上の見せ場はない。どんなにスピードが出ようが、CGにはスリル(危険性、ヤバさと言い換えてもいい)が欠落している。映画館のスクリーンで観るのなら、「タクシー」のスタント運転(VFX一切なしの実写)のほうに軍配が上がる。

代わりに目を見張ったのは、地形的リアリティーだ。たとえば、起伏した丘陵地帯を真っすぐに貫く高速道路の切り通しがつくる波模様。すべての風景がデータで構築された3Dのジオラマであることにはただただ驚嘆させられる。
あるいは、ときおり背景に現れる斜めの地層が折り重なって浸食された山脈。
はてと首を傾げつつも、引きのアングルでようやく気がついた。
http://www.jimhillmedia.com/mb/images/upload/cars_background_i_web.jpg

これはアント・ファームの有名なランドアート作品(1973)の引用だ。
http://videopool.typepad.com/photos/uncategorized/antfarm.jpg

ここまでは何かの本でも見たことがあるだろう。ならばこれはどうだ。

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ちょっと驚かされたのは、この作品は今も旧ルート66の通っていたテキサス州のアマリロに現存しているということ。従来の美術の枠組みを抜け出し、無限に広がる表現の荒野に立てられた美術作品も、今となってはなかば遺棄された状態ではあるが、歴史が短いこの国ならではの近考古学遺跡的な観光スポットになっている。そして、この変わり果てた姿はこの30年分のアメリカ社会をそのまま転写した状態とも言える。作者側も管理しようがないので、落書きも容認ということらしい。
http://www.travelpost.com/NA/USA/Texas/Amarillo/entry/166479
トラベルポストはアメリカの地図リンク型旅情報ブログ・サイト。もちろん「Route 66」の名前は今のアメリカの地図にはない。
代わりにこんなページも見つけた。
http://www.untraveledroad.com/Categories/Highways/HistoricRoute66.htm
バーチュアル・ドライブ気分が味わえる写真集。グランドキャニオンが見られるだろうかと進んでみたがあまりの画像枚数の多さに途中で諦めた。
      ◎
さて、ずいぶんと回り道になった。もう一度、最初の話に戻ろう。
      ◎
考えてみれば、最初に述べたドライビング映像の系譜は現在すでにカーナビの3D表示画面に実を結んでいる。その意味でこの映画は、車の国というありえないおとぎ話の世界に観客をナビゲートするために入念な嘘で塗り固められた3Dマップなのだといってもいい。
劇中では旅行中のグレーのミニバン夫婦が登場し、「カーナビがあるから大丈夫」と言いながら誰にも道を聞かず、あげくの果てにすっかり道に迷う姿までもが笑いを誘うオチにもされる。思い返してみると、カーナビのことを口をするのは彼らだけだ。そして、肝心のそのカーナビの画面は最後までスクリーンには映し出されない。この味気ないグレーのミニバン夫婦は、カーナビを過信するとろくなことはないよという教訓を伝えるための端役のようでありながら、実はこの映画の正体(=カーナビ)を隠匿しておくための伏兵として配置されている。


見終えてからあらためて宣伝ポスターに目をやると、「そこは、地図から消えた町でした」とある。地図のデータ化で作られたこの映画は、主題においては地図からのデータ消去の悲哀を訴えている。それが自己矛盾というよりはラセター的な自己言及なのだろうという内容の分析は置いておいて、そうだ、とにかくこれで Google Earth の次の目標は決まった! それは「ルート66」が記載された過去の地球儀の作成……。あなたは検索欄に生まれ故郷の住所を入力する。今はもう取り壊されてしまったはずの生家の屋根が見える。さらに拡大していけば、裏庭の洗濯物のロープに懐かしい母親の花柄のワンピースを見つけることはできるだろうか?


衛星写真以前の過去に遡るにはそれこそ今回のピクサーばりの労苦が必要だが、現実的に考えても数十年後の未来に2006年の Google Earth のデータを閲覧することは当たり前に可能だろう。同様に未来において、過去のカーナビのデータを使えばタイムトラベル気分満載の仮想ドライブが楽しめる。いや、実際すでに、東京を訪れたことすらないどこか遠い国のゲームマニアたちが、今日もモニタの中の首都高を攻めまくっているはずだ。


今回、ピクサーがそのCG技術を駆使して描ききったといえるものは、グランドキャニオンやヨセミテを思わせる北米大陸大自然と田舎町のガソリンスタンドのある風景であり、それぞれは奇しくもアンセル・アダムズが写真で、エドワード・ホッパーが絵画で行ったことをCGでトレースするものともいえる。
ちなみに、CGによる美しい国土やノスタルジックな日常風景の再発見といった傾向は、日本でも同様にVFXの先端技術を駆使した「日本沈没」や「ALWAYS 三丁目の夕日」において顕著に見られる。コンピュータによる写実的な描画技術が、(軽度のものとはいえ)ナショナリズムやノスタルジーといったある種の反動や復古主義に結びつきやすいことについては、さらに分析の必要がある。
そもそも前作「Mr.インクレディブル」は往年のヒーロー漫画、「カーズ」は往年のTVドラマ「ルート66」や映画「アメリカン・グラフィティ」や「栄光のル・マン」といったラセター監督のメディア愛好遍歴から成り立っていることを考えると、現在のCG技術はデジタル以前を知るクリエーターたちにとって、かつて記録媒体の脆弱だった時代の思い出(メモリ)を補完する手段として用いられているふしがある。