アンチボットTシャツを1日着ながら考えた

エキソニモのTシャツショップが面白い。
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ネットで買い物をしたりするときに、ぐにゃぐにゃしたランダムな文字配列の画像が表示されて、それを読んで入力させられることがありますよね。あれはCaptchaと呼ばれるチューリングシステムで、機械では読み取れない文字を入力させることで、情報をオペレーションしているのが意志をもった人間かどうかを判別するものなんですね。BOTとはコンピュータを悪用するために書かれたプログラムで、まあ、我われが気づかないところでさまざまな悪事を働いている、と。そのセキュリティー対策として考案された仕掛けです。
で、エキソニモはその図像変換システムを使ったオーダーメイドのデザインTシャツ屋さんをネット上にオープンしてしまった。さすが、目のつけどころがエキソニモ。

で、ぼくもさっそくオリジナルTシャツをつくりました。

メッセージはBorn to edit 20回くらいポチって、いい感じのをオーダー。

で、1週間で実物が届きました。さっそく着てみます。

昨日着ていたらさっそく「エキソニモTですね」と反応してくれた人がいました。

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さて一日着ながら考えたことなどを以下書き記しておきます。

このTシャツ屋はいくつかの点で、とっても素晴らしい。
まずデザイン的な斬新さ。文字だとはわかるが瞬時には読みにくいランダムなフォントの配列が、見方によってこんなにもパンクだとは。ジェイミー・リードがコピー機とカッターナイフとペーパーセメントでやっていたデザインが、ワンクリックでだれでもできる、という手軽さ。
発想の意外性と批評性。もともとセキュリティーを目的としたシステムをTシャツのオリジナルデザインに使うという意味の変換の小気味よさ。アンチボットのTシャツは、世の中のセキュリティー・システムやアーティストTシャツというプロダクトやデザインそのものの意味(=ありがたみ)に対する皮肉や痛烈な批評でもある。見た目だけでなく意味そのものとしてこれはダダでありパンクなのだ。
DiY的要素と偶然的要素の出合い。購入者が自分で好きな文字を入力でき、色やデザインも選べるので、自分のメッセージTシャツがつくれる。ボディの色が選べ、文字色もカスタムできるが、そこから先のレイアウトとデザインは機械まかせなので、そのあたりは作家主義へのアンチテーゼとして「ぼくは機械になりたい」と言ったウォーホルや、ジョン・ケージチャンス・オペレーションも連想させられる。実際、気に入るまでやりなおしボタンをクリックするときの期待感はまさに当たるも八卦!──おみくじや占いに近いものを感じた。
情報共有の仕組みの正しさ。自分のデザインは公開してシェアすることも、世界に1枚しかないものとして以後封印することもできる。クリエイティブコモンズによるCシャツ・プロジェクトの継承発展形として見ることも可。


Tシャツがウェラブルなメッセージ・メディアであることは言うまでもないが、すでに制度化したそれを固定的な意味から解き放ち、仕組みとしてオープンにする。この流動的でふわふわとしていて全体的に漠然とした感じになんとも言えない魅力があるのは一体何なんだろう。
Born to editと記しておきながら、逆にふと思いついたのは、post-editorialという言葉だ(通常、新聞などの社説editorialを指す言葉だが、ここはあえてpost-industrialの語感にも引っ掛けて)。
アンチボットTシャツの流動性は従来のフィジカルな編集物のソリッドな感覚とはまったく異なる、情報空間で時々刻々と生成され続ける情報編集のありかたと似ている。大方の部分を機械に頼りながらそれを人間が操作し選択するというプロセスにおいてもまさに。

ポスト・エディトリアル(脱編集)──今後のテーマとして掲げてみるかも。

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▼同好のナチュラルボーン・エディターのみなさん、1枚いかが。
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