スーパーマーケットのための音楽


小田島等と細野しんいちによる異色ユニットBEST MUSICの新譜が発売された。タイトルは「ミュージック・フォー・スーパーマーケット」。これがブライアン・イーノの「ミュージック・フォー・エアポート」のもじりであることがすぐにわかる人はもちろんだが、もしそうでなくても現代美術が好きな人にはぜひともおすすめしたい。というのも、これは音楽CDの姿をしてはいるが、内実は美術作品のようなものだから。
ちなみに僕はこのCDのライナーノーツを書かせてもらったので、詳しい内容に関してはここでは繰り返さないが、一言でいうなら日本のスーパーでかかっている店内BGMを見事なまでに模倣した無個性な楽曲全9曲を収めた壮大なる脱力系コンセプト・アルバム。小田島自身は「のっぺらぼうのような音楽」と言うのだが、専門用語を使えば「エレベーター・ミュージック」と呼ばれるいわゆる表現の極北にある音楽のシミュレーション・サンプラーともいえる。興味のある人はぜひ買って、聴いて、読んでみてほしい。


MUSIC FOR SUPERMARKET(紙ジャケット仕様)

MUSIC FOR SUPERMARKET(紙ジャケット仕様)


まず何よりこのジャケだ。スーパーのチラシというどこのだれの手によるものかわからないアノニマス(匿名的)なデザインの身振りを真似るというデザインは一見さりげないが、CDのパッケージ・デザインにおいては馬鹿馬鹿しくも過激なものだ。ちなみにこの夏物姿の男女は既存のチラシのサンプリングではなく、この写真のためにわざわざ選んだモデルさんたちで、撮影は池田晶紀による。



「レジにて半額」の文字はあくまでデザインの一要素であるが、普通に考えれば流通上の混乱をきたす恐れがあるとして小売店の担当者なら思わず顔をしかめるはず。実際、レジで半額にならないことにがっかりする人も出てきそうだが、このCDを買うような人なら、もっと早く気付けよ、という自分突っ込みのオチで済むというわけか。にしても、音楽ソフト流通業界に対するこの挑戦的な態度は他に例を見ない。


ただ、ひょっとしたらこのCDを購入する人は店頭ではなく圧倒的にネット・ショッピングを利用するのではないか。試みにこのCDタイトルでグーグル検索をかけてみたらタワレコHMVAmazonなどネットショッピングのページがドバーッと現れ、驚いた。今やネット上の仮想のショッピングカートに入れられ、現実世界のレジを通らずに買物が済んでしまうのに「レジにて半額」という文字が記されたこのCDは、なんだか未来から届いた商品のようですらある。


もはや我々はレジなしでも買物をしているし、いつか未来には現在のようなレジはなくなるだろう。駅の改札のように無人になり、商品を買物袋に入れてゲートをくぐるだけで瞬時に金額が計算され口座から引かれるようになるかもしれない。実際、駅の改札で人間がハサミで切符を切っていたということを今の子どもたちがもう知らないように、今やレジは”打つもの”(キー操作)ではなくバーコードリーダーでピッピッと読み取るものでしかない。だとすれば、いつかレジがなくなる未来には、このCDジャケットは過去の大型小売店流通の全盛時代を彷彿とさせる貴重な文化的資料としなるのかもしれない(以上妄想)。


さらに紙製のダブルジャケットを開くとこんなアー写が……。
 (左が細野しんいち、右が小田島等

撮影はゲリラ的に営業時間中に2人でエプロンして行って隠れて撮ったのだという。そんな制作秘話を本人たちから聞いて、はたと思い出したのは、僕も住倉良樹の変名でDelawereの結成メンバーだった頃、今はもうない表参道の紀伊國屋の店内で同じように無許可で撮影したことがあるというすっかり忘れかけていた過去の出来事だ。あらためて思い出してみると、サマタマサトさんと鈴木惣一郎さんと小林深雪さんと4人で始めた初期のDelawereは、なんだか今のBEST MUSICがやっていることとどこか似ている。偉大なるポップ・アートの脚注としての音楽マルチプル制作。それは音楽なんだけどむしろアートに近く、つまりはデュシャンレディメイドやウォーホルのキャンベル・スープからシミュレーション・アートまで、つまりは僕たちを育ててくれた20世紀の工業製品や消費社会についてのアートに対して自分たちなりの複製技術で書いたファンレターであり、勝手に捧げたアンサー・ソングなのだ。


ところで、小田島君と会ったのは21世紀になってからだが、実は僕はまだ10代の学生だった彼から手紙をもらったことがある。というのも、僕が『美術手帖』の編集者で、Dr.BTの変名を使って誌面で大暴れしていた頃、まだ無名の学生だった小田島君が編集部宛にDr.BTへのファンレターをくれたのを僕はずっと大切に保管していたからだ。
それから10年経ってイラストレーターやデザイナーとしてあちこちで名前を見かけながら、かつてのファンレターの主と同人物のはずの小田島等に初めて会うことになったとき、僕が大切にしていた彼からの手紙を持参すると、彼は僕からもらったという返事のポストカードを鞄から取り出してみせてくれた。僕は出したことすら忘れていたポストカードをタイムカプセルを開けるような気持ちで読み、互いの手紙を大切にしていた10年間を格別に愛おしく感じた。
ちなみに16年前、19歳の彼が28歳の僕にくれたファンレターは、糸ノコでカットアウトしたラワン板にペイントして直接切手を貼ったメールアートで、いまも僕の仕事机の横に大切に飾ってある。


[関連リンク]

◎マンガ家としての小田島等の短編集は、僕の中ではつげ義春の『無能の人』と並ぶ最重要作品で、実際わが家の本棚では「無」始まりのこの2冊は隣同士に置かれている。

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◎こちらは小田島等が執筆参加のSF。ブラッドベリの『華氏451度』を思わせるストーリーがマクルーハンの『メディアはマッサージである』を思わせるビジュアル×テキストの編集メソッドでというこれまた問題作。

小田島等ブログ:http://hitoshiodajim.jugem.jp/