破壊の世紀──ギター・スマッシュの起源

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この授業は「20世紀」の「美術」を「論」じるものです。「美術」といっても広く芸術(ART)としてとらえ、純粋美術や視覚芸術以外の周辺ジャンルの表現をも含めて扱っていきます。
私たちは20世紀に生まれました。では、20世紀とはどんな時代だったのか?
世界大戦と革命、暗殺と虐殺、核兵器と環境破壊などを見れば人類史上最も野蛮な世紀といえるでしょうし、動力飛行機の発明から月面着陸までを見れば人類の活動圏が飛躍的に拡張された世紀であり、大量生産と大量消費と大量輸送によって実現したものからは物量と速度の世紀といえるでしょうし、写真や映画やラジオやTVからインターネットまでを見れば視聴覚メディアの世紀といってもいいでしょう。


同時に文化史的に見れば、20世紀初頭から世紀末までの流れは、先鋭的なアバンギャルドが芸術動向としてさまざまに展開され、大衆に受容されながらやがてポップ・カルチャーやサブ・カルチャーに浸透していった時代といえるかもしれません。
今日はその一例として、前衛芸術のアート・パフォーマンスがロックのステージに、そしてインターネット上に見られる匿名的なビデオにまで与えた影響を見てみたいと思います。


まずは1960年代のフルクサスのイヴェントの映像から紹介。

オノ・ヨーコの「カット・ピース」(1965)は観客がひとりずつ作家の衣服にハサミを入れていくというもの。作家は何もせず、観客が行為者なんです。


 
これはナムジュン・パイクが1995年に再演したイヴェントで、ヴァイオリンを手にして壁にこすりつけたり、叩き割ったり、燃やしたりしている。パイクは1961年からヴァイオリンを手にしたパフォーマーがゆっくりとそれを持ち上げて無音状態をつくり突然振り下ろして叩き割るというイヴェントを演じていた。
ちなみにフルクサスのイヴェントは「スコア」と呼ばれるおもにテキストのインストラクションからなる楽譜があった。日常の時間や空間のなかで突発的な事件を起こすハプニングや、パフォーマー(演じ手)がステージ上で行う身体表現としてのパフォーマンスとは違って、音楽の楽譜のようにそれさえあれば誰でも再演可能というものだったんですね。
パイクの「ワン・フォー・ヴァイオリン(ヴァイオリンのための一曲)」は今も多くのアーティストによって再演されている。たとえばこれはドイツのアーティスト。


ソニック・ユースが1999年にジョージ・マチューナス作「ピアノ曲第13番(ナムジュン・パイクに捧ぐ)」を再演した映像も。


ナムジュン・パイクのちょっと面白いポートレート写真を見つけました。

これは1975年のデュッセルドルフでの個展ポスターに使われた写真で、古いTVセットを抱え上げていますが、ひょっとしたら壊そうとしているのかもしれませんね。
いずれにせよ、60年代半ばにニューヨークでひんぱんに行われたパイクの楽器破壊が、60年代後半のロックにおけるステージ・パフォーマンスに影響を与えたんじゃないかと僕は睨んでいる。


ロック・ミュージシャンがステージでギターを破壊することを「ギター・スマッシュ」といいます。ザ・クラッシュの「ロンドン・コーリング」のジャケットはその行為の最も象徴的な写真で、パンクの時代精神を表す記号として今も流通しています。
ギター・スマッシュを最初にやったのはザ・フーピート・タウンゼントですが、この映像は1966年くらいでしょうか。1967年にはモントレー・ポップ・フェスティバルではザ・フーの後にステージに上ったジミ・ヘンドリクスがなんとギターに火をつけてみせた。


その後、現在に至るまでパンク、ノイズ、オルタナティヴなどさまざまなミュージシャンが楽器破壊を繰り広げてきた。音楽の既成概念を壊す身振りであり、象徴的な儀式になった。
だが、現在それはプロがステージで行うだけのものではない。YouTubeでは世界中の老若男女、たくさんのプロ、セミプロ、アマチュアによるギター・スマッシュの映像が見られる。
注目したいことは、これらがステージではなくバックステージ、ないしはステージ以外のアウトドアで行われていること。ビデオカメラという”目撃者”とインターネットという”媒介者”なくしてこの手の映像表現はありえない。
 


中にははりぼてのギターを壊すだけのティーンエイジャーもいる。


YouTubeにおける破壊行為のデモンストレーションは、楽器にとどまらず、さまざまな日用品や家電にまで及ぶ。古いPCモニタの破壊は、ナムジュン・パイクのTVセットを持ち上げた写真も連想させますよね。


大きなハンマーを振り下ろすこの破壊の身振り。現代美術のシーンでも10年前に見覚えがあることを思い出しました。ピピロッティ・リストの「エヴァー・イズ・オーヴァー・オール」(1997)、マルチスクリーンのビデオ・インスタレーションです。

1990年代後半、美術界でもジェンダー論議が高まるなかたいへん脚光を浴びた作品ですが、オノ・ヨーコの「カット・ピース」が暴力に対して無抵抗な存在を提示したのに対して、リストのこの作品はダダに始まる20世紀の破壊芸術の展開において、見事なまでにさわやかなエンディングを提示したのだといえるのではないでしょうか。