タイピングの美術館

donburaco2008-02-20

《TypeTrace》のパッと明るくてチョッといい使い方を考えているのだが、そうそう答えがすぐに出てくるものではない。なので、この個人的な課題を多くの人と共有するために、ここにメモしておく。

《TypeTrace》とはもともとはアーティストの遠藤拓己が開発したある仕掛けをもったワープロソフトで、その機能は簡単にいうと、タイプ入力にかかった時間の経過に応じて、表示フォントのサイズが大きくなってしまう。そして、入力や文字変換の手順がすべてレコーディング&再生される、というもの。このいわば「作文追尾ソフト」は、実用性から遠のいていくベクトルをもったアプリケーションの姿をした作品なのだ。
《TypeTrace》は作文中の人間の思考の過程を──つまりは脳味噌の中をディスプレイ上に映し出してしまうという恐ろしくも恥ずかしくて面白いソフトでもある。僕は昨年、遠藤拓己とともに〈DIVVY/Dual〉名義の共同開発者であるドミニク・チェンを通じてβ版をもらって以来、何度か授業で学生たちと一緒にいじったりしながら楽しんでいた。

具体的な操作画面はこんな感じだ。

このデモ動画はなぜかサイレント(音声なし)だが、実際はPCキーボード特有のズバズバとした小気味よいタイプ音がSEでついてて、これがなかなか鍵盤楽器ぽくて楽しい。

といっても、じゃあこれを使って何を書いてどう見せるのがよいのかというとそれはよくわからず、ただ何かができそうな可能性だけは未知数のまま、そして何か書いておこうと思いながらも丸1年が経過してしまったのだが、その間、作者たちはさらにもともとのプロトタイプの制作者である松山真也とともに〈Dividual〉という新チームで改良を重ね、東京都写真美術館の「文学の触覚」展では、小説家の舞城王太郎にこれを使ってもらうという最高なデモ展示を成功させてしまった。
http://www.syabi.com/details/bungaku.html


写真美術館の展示ではないが、昨年1月にパリのシャイヨ宮劇場で開催された「No Tatami Spot」で展示されたときの動画がネット上にアップロードされている。キネティック・キーボードと呼ばれる装置がスクリーンモニタとシンクロして自動タイピングを続ける。このシステムは写真美術館の展示でも同様に使われた。


ちなみに、いまこれを読んでいる人は仮に展示が見られなかったとしても、TypeTraceのアプリそのものはここ(http://dividual.jp/get/tt/)からダウンロードできるので、むしろ自分で使ってみることで体験してみるといい(現在のところMacOSX版のみ。この一般配布版はアプリとしてのディレクションとデザインはドミニク・チェン、コーディングは永野哲久によるものと聞いた)。

使い方自体は至って簡単、ていうかフツーに文字入力してればよろしい。説明をしたりされたりするより、とにかくいじってみることだ。道具は使ってみなければ使い勝手はわからないし、手にしてみれば道具は使用者にあった使い方をアフォードしてくれる。

通常、私たちは文章を書いたり読んだりするときに、最終的な完成形だけをもってやりとりをしている。途中、書き直した箇所はなかったものとして取り扱われる。絵画も同様で、完成した作品の表面からその下にどんな下絵があったかは肉眼ではわからない。いわば物書きや絵描きは「結果がすべて」であって、そこに至る「過程」は鑑賞や批評の対象にはならないものだった。

だが、20世紀半ば、描画の身体性を重視するアクション・ペインティングの出現以来、制作過程にも目が向けられるようになり、ライブ・ペインティングやアート・イン・プログレスといった名目で画家の制作行為そのものやその過程を、一種の表現として、あるいは一種の見世物として見せていく動きが20世紀後半進展を見せた。
《TypeTrace》はタイピングという指先の作業に光をあてることによって、作文(ワードプロセッシング)という本来は書き手の頭の中で行なわれるとらえどころのない作業に、時間と空間を与え、そこにアクション・ペインティングやポエトリー・リーディング、さらにはラップや楽器の即興演奏にも通じる身体性を喚起させる。

   *   *   *

タイピングの身体性について考えるには、PCキーボードよりも遡って、タイプライターから考える必要がある。
そのオープニングとして、まずこんな映像から始めてみよう。ジェリー・ルイス主演の1963年の映画「底抜けオット危ない」からのシーン。

タイプライターのもつ音楽性は、現代ではさらに大掛かりな、そして大袈裟な方法論でまとめあげられている。たとえばこれ、ボストン・タイプライター・オーケストラの演奏は、かつて洗濯板を楽器代わりにしたジャグ・バンドの遠い発展形にも見える。

タイプライターがかくもリズミカルで軽やかな雰囲気をもっていたのは、20世紀を通じて働く女性の花形だったオフィス・タイピストの華麗さとお気楽さによるものだろう。さらに事務機械としてポータブルに設計されたタイプライターが発売されると、ヘミングウェイのような小説家は「僕はこれ1台あればどこでだって仕事をすることができる。ほらこうしてヨットの上でもね」といった感じで麦わら帽子と余裕たっぷりの笑顔で取材に答えてみせた(それは19世紀にチューブ入りの絵具が発売された結果、印象派の画家たちが絵具箱とランチバスケットを小脇に抱えて戸外に現れた光景をも大いに連想させる)。
ただ、文芸作家にとってのタイプライターが本当にそうだったかといえば答えはノーだ。むしろヘミングウェイはポータブル・タイプライターを戸外に持ち出すという身振りによって、例外中の例外を演じていたと見るべきだろう。小説家にはそれぞれに執筆の苦しみがある。その意味では、彼らが日々向かう黒く重たい卓上型のタイプライターは、タイプ=活字を印字(プレス)する印刷機であると同時に、自らの文芸創作のエッセンスを圧搾(プレス)して抽出する機械でもあったはずだ。
これはスタンリー・キューブリックの映画「シャイニング」の1シーン。

映画「シャイニング」のなかでジャック・ニコルソン演じる主人公はタイピングという行為を通じて狂気の世界に足を踏み入れていく。そして、ある日ふと妻が見たタイプ用紙に無尽に繰り返された《All works and no play makes Jack a dull boy》(英語のことわざで「勉強しすぎて遊ばせないと子どもは馬鹿になる」の意)の文字列がつぎつぎとスクリーンに大映しにされるシーンから、この映画はスリラーへと急降下していく。

下の写真は2004年フランクフルトのドイツ映画博物館とドイツ建築博物館で開催された企画展「キューブリック・オン・ビュー」における「シャイニング」のコーナー展示。劇中ジャックが使用した小道具であるタイプライターと《All works and no play....》の文字に埋め尽くされたインスタレーションだ。
 ▶http://www.stanleykubrick.de/

近代が生み出した機械的な筆記具であり印字機械であるタイプライターは、文字のマシンガンだ。それはTAKKA TAKKA!という機関銃の銃声のような金属音とともに、アルファベットの銃弾を放つ。このとき作家は銃手になる。そう、ニーチェ1880年代に市販されたばかりの卓上タイプライターを買ってきてようやく「神は死んだ」とキーを弾くことができたのではなかったか。おそらく、人間の肉筆では神は殺せなかったのだ。
機械的な銃声 Takka Takka by Roy Lichtenstein, 1962


そして、ニーチェが文字で神を殺してから125年経ったいまも、人はまだキー・タイピングで殺しを続けている。たとえばこんなタイピング学習用ソフト。ここでのあなたの敵はゾンビ。


ちなみに僕自身のことをいうと、僕はかろうじてタイプライターを日用品として使っていた経験がある。高校生の頃、自宅にあった兄のタイプライターを使ってよくカセットテープのコレクションのラベルやインデックスを作ったり、好きな楽曲の英語詞をリライトをしていた。1980年代前半、まだパソコンはおろかワープロと呼ばれるオフィス家電すら出現前夜の当時、工業的な文字を卓上で操作できる道具はタイプライターとインスタントレタリングくらいしかなかった。僕はそれらを熱心に使った最後の世代にあたるはずだ。今では信じがたいことだが、ミスタイプすると最初から打ち直していた。というか、筆記具としてのタイプライターは「下書き」と「清書」という2段階の作業を必要とするものでもあったはずだ。正確にいうとこの2工程の間には「推敲」という静かな作業がある。

メモリを搭載したワードプロセッサーの出現が人々のタイピングの作法を変えた。書いては消し、書きためたものを切り貼りする。ワープロによる作文(ワード・プロセッシング)は執筆と推敲を同時に行なうテキスト編集という仕事をユーザーに与えた。writer(もの書き)とeditor(編集者)の仕事はこのときから一体化する。ケータイでメールを打つ小学生も定型文や絵文字やコピペ機能を当たり前のものとして使いながら文書を「編集」している。
換言するなら、今や何かものを書くとき誰もが無自覚に編集者になっている。そして、editing=編集はもはや特殊な職能ではない。

お別れはやっぱりこの曲で──。筆記印字機械と音楽再生機械の蜜月。タイピングと回転という2つの近代的な機械の運動が重なり合った情景は、なぜかくも愛おしいのだろう。
 78 rpm Leroy Anderson - Typewriter (Played on a Garrard 4HF)