デザイン・フォー・オール──共有と共生のための「共用品」のデザイン

これからのデザインに必要なことは何だろうと考えていたら「共用品」という言葉に行き当たった。子どもも大人も高齢者も障害者も身体的な特性にかかわりなく、多くの人がともに利用しやすいもの。英語ではアクセシブル・デザイン(使いやすい設計)と呼ばれバリア・フリーやユニバーサル・デザインを包括する考え方として広まってきている。デザイン・プロダクトのアクセシビリティーについて考えるための本を紹介しよう。

『共用品という思想──デザインの標準化を目指して』』(後藤芳一+星川安之、岩波書店)は20年前から日本で共用品の必要性の調査・普及に努めてきた二人の著者(当時玩具メーカーの社員だった星川安之と通産省にいた後藤芳一)によるもので、民間と行政の壁を越えた勉強会から始まった共用品推進の歴史とその理念をまとめた一冊だ。共用品は障害のある人だけでなく、誰もの日常において目的へのアクセスを容易にする。身近な事例では、シャンプー容器の側面にあるギザギザは洗髪中でも手探りでリンスの容器との区別を、携帯電話の5のキーにある小さな突起は暗闇でも操作を可能にするように。こうした工夫は日本では古くから、たとえば柏餅の小豆あんと味噌あんを柏葉の表裏で区別するなどの決めごとに見られるという。共用品の思想とはものづくりやサービスの中に本来あるべき思いやりの文化でもある。

 みんなが使いやすいもの=共用品をつくることは新しい公共性をデザインすることなのではないか──ここから先はペトロスキーの『〈使い勝手〉のデザイン学』(ヘンリー・ペトロスキー著、忠平美幸訳、朝日選書)の出番だ。ペトロスキーは『鉛筆と人間』や『本棚の歴史』など日用品の変遷から文明史をたどる著作で知られるが、本書ではグラス、ペーパーカップ、車のカップホルダー、歯ブラシ、レジ袋といった身の回りのデザインがどうして現在のかたちになったかを解き明かしていく。これがひじょうに面白い。デザインには完璧などありえない、むしろ欠陥があり、使い勝手が悪かったからこそ改良の歴史が生まれたという視点はまさに使いやすさ(アクセシビリティー)のデザインと同じ根をもつ。著者の観察はさらに扉ノブと電灯スイッチの高さ、スーパーマーケットの動線にも向けられる。住居設備や公共空間の設計は人の行動やサービスをデザインすることにつながる。
 原題《Small things considered(よく考えられた小物類)》はアメリカ入植時代の記録簿で値打ちのない日用品をひっくるめて《Small things forgotten(その他小物類)》としたことに由来する。道具や小物からアメリカ文化史を読み解く眼差しはどこか片岡義男に近い。自ら撮った道具の写真までもが、だ。


道具を使うことで進化したヒトによるモノの進化史を考えるための+3冊

フォークの歯はなぜ四本になったか (平凡社ライブラリー)
『フォークの歯はなぜ四本になったか──実用品の進化論』
H・ペトロスキー

かつてフォークは三本歯であり二本歯でありそれ以前は両手にナイフを持って肉を切り刻んで口に運んでいた。ペーパークリップ、安全ピン、ファスナー、缶飲料のプルタブなどの失敗と改良の発明史。共用品の長い前史として読むと視界が広がる(平凡社ライブラリー)。


彼らと愉快に過ごす―僕の好きな道具について (ビーパル・ブックス)
『彼らと愉快に過ごす──僕の好きな道具について』
片岡義男

本文中の末尾で触れた片岡義男のエッセイはたとえばこれ。衣食住の日用品や文具や工具やカメラなど108の道具の使い方。60年代若者文化のバイブル『ホール・アース・カタログ』の副題が「道具へのアクセス」だったことも想起される。大切なのはアクセシブル(小学館、古書のみ)。


本は物である―装丁という仕事
『本は物(モノ)である──装丁という仕事』
桂川

デザイン好きの愛書家への最後の選書はこれにしよう。知の共有のための書物もまた共用品としてデザインされたプロダクトだった。電子ブックの文字拡大や音声読み上げ機能は書物のさらなるアクセス向上なのだが、ならば書物の物質性とは何なのかをあえて問おう(新曜社)。


*以上は月刊『リアルデザイン』の書評欄のために執筆した原稿だが、事情により未掲載に至ったので再構成してここに公開することにしました。