2011年のジョン・ケージ「ヴァリエーションズVII」

ジョン・ケージのライヴ・エレクトロニクス作品(1966年初演)を現代の4人の日本人アーティスト(足立智美、池田拓実、有馬純寿、毛利悠子)が再現するというイヴェントが1月29-30日アサヒ・アートスクエアで行われた。

ジョン・ケージが何者かについてはここでは詳細を省く。しいて言うなら僕にとってジョン・ケージはいつの頃からか音楽とか美術とかといったジャンルを越えた20世紀の偉大なアイドルのひとり。アインシュタインデュシャンサリンジャーマクルーハンビートルズゲバラゴダールと勝手に並べていつまででも拝んでいたい存在。片岡義男風に言えば「ぼくはジョン・ケージが大好き」。アヴァンギャルドに対してミーハー心がくすぐられるのもひとつの禅か。え、逆にさっぱりわからないって? まあいいや、先に進もう。


会場のアサヒ・アートスクエアに入ると演奏会場の中央には2列の長いテーブルがあって、さまざまな音の出る機械や日用品が並べられている。すべてこの演目のための楽器というわけだ。

コード類が所狭しと張り巡らされたセッティングは現代日本の視点でみればカオス*ラウンジのインスタレーションのようでもあるし、90年代のキヤノン・アート・ラボ第1回展における中原浩大の作品「デート・マシン」(1991)をも彷彿とさせる。まあ、そのあたりもいつかじっくり話すことにして先に進もう。

開演時間ぴったりに何のアナウンスもなくいきなり天井の照明が落ち、足元のスポットライトが点灯するとともに会場の各所に設置された17チャンネルのスピーカからけたたましく音が響く。演奏家がテーブル上の機器で生成する音のほか、ラジオ番組やネットを介して世界各地から中継されるさまざまな音。事前に用意した音源は一切使わず、すべてリアルタイムに生成・受信・中継される音の信号を可聴化し、いま・ここのものとして時間と空間を満たすというのが《ヴァリエーションズVII》のコンセプト。
観客は着席して聴いてもいいが、やがて多くは立ち上がり会場内を歩き回りながら観ることに。ライヴやコンサートというよりは、60年代の言葉で言うと「エンヴァイラメント(環境作品)」や「イヴェント」、今様のジャンルで言うなら「サウンド・アート」であり「サウンドインスタレーション」にも近い。音的には「ノイズ」の源流でもあるし「インプロヴィゼーション」や「インタープレイ」の要素もある。卓上で操音する作業は「デスクトップ・ミュージック」の草分けでもあり、その身振りは「DJ」の原型ともいえる。とにかくさまざまな音楽表現のエレメントがここに含まれている。逆に言えばそのすべてがこの大きな原型から派生・分化したともいえる。
ぼくの好きなヤン富田の演目のひとつに《ラジオ・ミュージック》があるが(90年代に渋谷のコンサートで観た)、こうしてみるとヤンさんはケージからあるエッセンスを抽出することで「偶然」というとらえどころのない概念をポップなチューンとして提示していたように思う。

ほんの一部だが動画を撮ったのでアップロードしてみる。短い動画だが、音響が時間と空間を満たしていく作品の全容を想像してみてほしい。

動画の後半に映っているが、個人的には「影」に興味をもった。

壁に映った影が多層的に重なり交差する。高松次郎の影の作品のようでもある。

テーブル下、足元に斜め上向きに設置されたスポットライトは初演と同様の演出だが、壁に映る影をみていたらデュシャン風であることに気づかされた。高松次郎の影の作品もそうだが、影はアンフラマンス(極薄)の皮膜だ。さらに扇風機、糸巻き、トイレットロール、プリンタロールなど回転する機材が多いのもデュシャン的。
演奏者の作業はテーブルの随所で各自それぞれの同時多発的なオペレーションとして遂行される。たとえば毛利悠子はバナナを一房持ってくるとスキャナの上で包丁でカットするが、このときピックアップマイクから包丁の音が抽出されると同時にプリンタからは随時原寸大の画像がロール紙に出力される(とめどなく流れ出てくるロール紙の様相は毛利が昨年神保町の「路地と人」で発表した「ワン・デイ・ダラス」も連想させる)。バナナは砂糖、牛乳、氷などといっしょにジューサーにかけられバナナセーキをつくる。キッチンで調理される飲み物のミクスチャーと音のミックス作業が重なる……といった具合に。

しばらく鑑賞していると、会場内を歩く観客の女性のヒールの靴音までをもいつのまにか「音楽」の一部のように聴いている/観察している自分にふと気づいた。いま・ここのすべてが音楽になる。待ち望んでいたのはまさにこの瞬間だ。


ちなみに1966年の初演のフィルムも今ではネット上でたやすく観られる。今回の東京ヴァージョンが現代の機材を使ってアレンジメントを施しながらも初演の状態を上手く再現していることにあらためて感心させられる。それにしても60年代のジョン・ケージ、最高にクールじゃないか!