あたらしいのりもの──「オープンスカイ2.0」への招待

donburaco2006-12-05



 自転車の練習をしたいという娘を連れて、近所の小学校に行ってみると門が閉まっていた。土曜日の校庭開放は4時で終わりらしい。小さい娘がつぶやいた。
「空みたい」
「なんでさ」
「こんなに広いのに、からっぽで、だれも入れない」
 確かに、鉄製の柵越しに眺める校庭は、雲ひとつない冬の青空を思わせる静けさで、冷たく澄みわたっている。空のような空虚さが子どもたちを閉め出していた。
「人間てさ、どうして空を飛べないの?」
「飛行機に乗れば飛べるさ」
「あれは機械でしょ。機械が人をのせて運んでるんだよ。鳥や虫みたいに自分で飛びたいなあ」
「あはは。練習すれば飛べるようになるかもしれないよ。この間、跳び箱とべたって言ってたよね」
「四段とべた。でも空は羽がないとねー」
「羽があっても練習は必要だよ。ひな鳥だって最初から上手に飛べるわけじゃないさ。きみの自転車と同じだよ」


 いま、飛行機というよりはカモメの翼のような一人乗りのグライダーを自作し、テスト飛行を重ねているアーティストがいる。最初はそんな無茶なと思ったけれど、本当に飛んでしまった。初飛行の気分はどうでしたかと聞くと、はじめて自転車に乗れた瞬間みたいですよ、という答えが返ってきた。
 自転車に乗るように、だれもが、自由に、空を飛びまわる。
 想像してごらん、いつかそんな日が本当にやってくることを。
 そのとき、空への扉が開かれる──開門のパスワードは、
ひらけ、そら!



このテキストはNTTインターコミュニケーションセンター[ICC]で開催される「八谷和彦展 OpenSky 2.0」(12月15日─2007年3月11日)の告知用チラシのために寄せたものだ。2つ折りのリーフレットの形状のこのチラシは、もう都内のあちこちのアートスペースに置かれているようなので、見つけたらぜひ手に取ってみてほしい。青空をバックに白い機影が映える写真はテストフライトのときのもの。大岡宏典君によるデザインもきれいで、壁に留めておきたい気にさせられる。


八谷君の個展に文章を寄せるのは、1993年レントゲン藝術研究所で一晩だけ開かれた最初の展覧会「Inter-discommunication」のときから数えて、これでもう7回目になる。
《視聴覚交換マシン》から《AirBoard》まで、これまで住倉良樹のペンネームで、恋人同士の男女の会話を軸にしながら、作品の背景にある科学技術史と美術史とを接続してみせるというアクロバティックな6篇のショート・ストーリーは、いずれも作品が完成する前にアーティストから概要を聞かせてもらった上で、その作品装置が鑑賞者にどのような作用をもたらすかを想像して言葉にしてほしいという依頼で書いたものだった。
今読むと現実のテクノロジーがフィクションを追い越してしまったものもあり隔世の感があるが──たとえば《WorldSystem》では当時まだ物珍しかった携帯電話による恋人たちのスリリングな長電話を、《メガ日記》では夢の中で恋人の過去の日記を読むといったシチュエーションを描いたが、今やメールやブログによってぼくたちのコミュニケーションやダイアリーは変貌してしまった──ぼく自身にとっては実際の彼女とのプライベートな会話にもヒントをもらいながら書いたこともあって、それぞれに思い入れの深い文章といえる(そのうちの3篇は2001年MOT「ギフト・オブ・ホープ」展図録に「3つのおはなし」というタイトルで再録された)。


今回からペンネームでなく本名での発表にしたのは、一昨年会社勤めを辞めたので、もう筆者の正体を隠す必要がなくなったからだ。八谷和彦展のリーフレットでは毎回お約束だった男女の会話が、父と小さな娘の会話に変わったのもぼくの実生活上の変化を反映している。今や妻であり母にもなった彼女は今回の原稿を読み終えると「あたしの役目をあの子が引き継いだのね」としみじみと言いながら、優しく微笑んだ。


6歳の娘は、脱稿した次の週には、補助輪なしの自転車をスイスイと乗り回せるようになっていた。あまりにもあっけなく”ひな鳥”が空を飛んでしまったことに、”親鳥”のぼくは驚くよりも奇妙なまでの清々しさを覚えた。


展覧会は来週の金曜日に始まる。【詳細はこちらをクリック】
1月刊行予定の展覧会カタログには書き下ろしの論考を寄稿する予定。


参考:9/24富士山麓で行われたテストフライト動画(アーティスト自身によってYouTubeにアップロードされているもの)

OpenSky 2.0」展の会場でも上映されていたメイキング映像(こちらもアーティスト自身による公式トレーラー)