キムラカメラとハートフィールド


カット・コピーの『ゾノ・スコープ』のジャケについて『クロスビート』2011年6月号に書いています(p.154、連載「アートワーカホリックアノニマス」)。今月号の連載コラムページの折の刷色(1C特色)がいつになく明るすぎるオレンジ色で見づらいので、画像をカラーでここに。あわせて記事と重複しないコメントを記しておく。


木村恒久のフォトコラージュ作品《都市はさわやかな朝を迎える》(1978)
今回作品使用にあたって日本側の窓口としてご助力された方のブログも偶然見つけました。なるほど興味深い。BIG LOVEブログ 



ミッドナイト・オイル「レッド・セイルズ・イン・ザ・サンセット」(1984)も木村恒久の作品だった。



ジョン・ハートフィールドのフォトモンタージュ作品《ジュネーヴの意味》(1932年『AIZ』誌の表紙のために制作され1960年に「ネヴァー・アゲイン!」のタイトルでリメイクもされた)



ディスチャージ「ネヴァー・アゲイン」(1984)。70年代末のパンクのシチュアシオン的なグラフィックが80年代に入ってからのアヴァンギャルド・リヴァイヴァルによって、ハートフィールドの再発掘までたどり着いた感じがする。



ザ・ザ「マインド・ボム」(1989)の裏ジャケ。個人的にもこの盤はよく聴いた。リーダーのマット・ジョンソンの真正面向きのポートレートを起用したオモテ側の印象が強すぎることもあり、このグラフィックワークは一般的には存在理由をほとんど有していない気がする。もしかしたら当初この裏ジャケのグラフィックがオモテ用に制作され、ボツにできずに裏面に回されたのではないかと勝手に憶測してみたくもなるが事実は不明。



ジョン・ハートフィールドのフォトモンタージュ作品《その手は五本の指をもつ》(1928)

当時のポスター掲示風景写真を見ると、現代の広告ポスター掲示と同様のイメージ反復によるインパクト効果を狙ってデザインされていたことがわかる。ウォーホルの壁紙作品のルーツもこのあたりにあるといえそう。



システム・オブ・ア・ダウンのデビュー・アルバム「システム・オブ・ア・ダウン」(1998)。ハートフィールド作品を切り抜き使用。リード・ヴォーカルのサージ・タンキアンの趣味と思われる。


フォトモンタージュ」というアヴァンギャルドの表現技法/視覚的なプロパガンダの手法が80年を経たいま、社会批評的なロックやポップ・ミュージックの表象として変奏を繰り返している。
映画史において映画そのものの発明以上にモンタージュなどの編集方法の発明が重要であるのと同様に、写真術そのものの発明以上にフォトモンタージュが何やら大きな役割をもたらせているであろうことに注目。